先週土曜日、4/26はGGサロン練習会だった。現代ギター社の4階にあるGGサロンというステージで、一人10分の持ち時間で好きな曲を弾く、そんな会だ。2022年4月に始めて、もう何回目になるんだろう? 10回位か。
回を重ねると、何回も参加してくださる方も増え、毎度演奏を聴くのも楽しみになってきている。実際、もともとはステージ度胸を付けるため、人前で弾く機会を設けるために…という趣旨で始めた会だけれど、参加される方々にとっても、他の参加者の演奏はいい刺激になっているように感じる。
楽器を弾くというのは、特にクラシックギターの場合、とても孤独な作業になる場合が多い。楽譜を読み解き、楽想を巡らせ、指を動かし鍛える。なんとも割に合わないというのか、報われない作業にも思えるけれど、なぜかそんなことに熱く取り組んでしまう。そういう孤独で密かな楽しみであって、もちろんそれでなんの間違いもないのだろうけれど、やはり人に聴いてもらうという経験は上達の大きな助けになると経験上強く思うので、こんな会をやらせてもらっている。
しかし、最近この会に立ち会う度に思うのは、ひとの演奏を聴く楽しみは、必ずしもそれがプロの演奏である必要はないんだな…ということ。当たり前と言えば当たり前なのだけれど、弾く楽しみと聴く楽しみは表裏一体というか、両方を楽しめるというのは幸せなことだということも、あらためて感じるようになった。多くの人たちは聴く楽しみだけで満足している。それはもちろん音楽の力だし、「うまい」演奏を聴く楽しみはそれはそれで有りだと思う。けれど、ごく普通の人間の生活の営みの中にある音楽、というのはとても貴重なもので、弾く楽しみを楽しんでいる人の音楽は、その人の存在そのものなんだなぁ…なんて思ったりする。思うように弾けない、そんな体験ばかりに思えるのが舞台での演奏だろうけれど、それでもその瞬間のために準備し練習を積んできた人の音楽には何か人を惹き付けるものがあるように思う。実際、別に人にいいと思われなくても、自分が楽しければそれでいい、それもそれで正解だろう。そんなに気張る必要もない。けれど、自分という聴き手もまた一人の他者の耳のようにとらえることができれば、演奏の幅も広がるようにも思う。
なんだかとりとめのない話になってしまった気もするが、人が楽器を弾くというのは何なんだろう…?、これは昔からいつも頭にある疑問で、それに対してちょっと新しい視点がみつかったのかもしれない。自分の中に新しい刺激を与えてくれたり、新しい意欲を生み出してくれるのは、意外と「うまいわけではない」演奏なのかもしれない。演奏家によるコンサートの楽しみはもちろん否定しないけれど、音楽を聴く楽しみはそればかりでもない、そんな気持ちかな。
というわけで、参加してくださる方々がいてこそとはいえ、まだまだ積極的にこの会は続けたいと思っていて、次は7月5日(土)、暑いさなかに開催することにした。私の気持ちばかり先走っても会は成立しないわけなので、参加してくださる方が多くいらっしゃることを願っている。
コメント